Ⅰ)薔薇の艦隊 ポートフォリオ
Ⅱ)薔薇の艦隊 資産増加倍率
Ⅲ)百年戦争 レバレッジ攻防戦 勢力変遷図
Ⅳ)所感
おめでとうございます。
「物価の安定の達成というミッションの総仕上げに向けて、
理論・実務の両面で、尽力してまいりたいと思っております。」
と抱負を述べておられた。
理論を司る学者の立場と、
実務を司る政策担当者の立場、
おのずと違いがある。
私が注目したのは、下記の質疑応答だ。
【学者と政策担当者の判断の違いについて 就任会見の質疑応答より】
(問)
植田総裁にお聞きしたいんですが、
植田総裁は、日本を代表する経済学者として、
これまでも数々の論文等を、あるいは著作等をお書きになっておられました。しかもそれは、現在の日銀の金融政策とも関連する内容を含むがゆえに、
市場参加者は、そこから今後の日銀の出方を占おうというふうにしているわけですが、
一方で、学者としての判断、学者としての情報発信と、
政策当局者としての判断・情報発信は、
おのずと違いがあるという点も理解できるところです。白川元総裁が、15 年前に就任の記者会見で、
白川さんも金融政策についての大著を書かれましたが、
必ずしもそういう過去の著作物には縛られずに判断していきたい、
という趣旨のことをおっしゃっていたと記憶しますが、植田総裁は、
過去のそうした論文や著作物で書かれたものをどのように位置付けられているのか、
市場参加者はそういったものをどのようにとらえ、理解すればいいのか、
その点についてのご見解をお聞かせください。(植田総裁)
私が書いたものをどういうふうに使って頂けたらいいのか、
というご質問の部分は難しいですけれども、
学者が書くものと政策担当者の判断ということの違いということについては、
お話しできるかなと思います。仮に同じ人がやるとしてもですね、
学者の場合は、やはり学者として面白いこと、
学者として正しいことを書かないといけないということですので、
どうしても起こっていることの一部分に焦点を当てて、
その部分についてよく考えてみたらこういう結論になる、
という展開になりがちかなと思います。これに対して、政策担当者としては、
現在起こってることの、あるいは何か政策を変えようとか考える場合には、
関係する全てのことを、大事なことは全て考えないといけない。それを考慮してまとめると、
結論は、金利を上げるのか下げるのか分からない、というようなケースも、
論理的には非常に多いということだと思います。ですので、学者としてこういう場合には金利を上げるっていう論文を書いていたとしても、
同じ人が似たような状況で政策判断を迫られたときに、
学者として前提条件に入っていなかったようなことも考えつつ、
判断を下さないといけないということですから、
結論は全く違った方向になるという可能性もありますし、
上げるのがいいのか、下げるのがいいのか、完全には分からない中で、
時間に迫られて決断しないといけない、ということも多々あるかと思います。そのうえで、学者との違いは、
出した結論・決断に対して責任を取るというところが違うんだと思いますが、
そのようなことが両者の違いであるかなというふうに考えております。
テレ東BIZ 日銀 植田総裁就任会見 2023年4月10日(月)
●上記質疑応答から動画開始
前提条件を限定しているから。
でも、さまざまな条件が絡み合う実務の世界で、
解を見つけるのは難しい。
誰もが納得し、
すべてを満足させる最適解なんて、
もともと存在しないのかもしれないわ。
日銀総裁というのは、
そういった難題に取り組むからこそ重要なポストなのだ。
つまり、最適解ではなく最善解を見つける責務がある。
私たち個人投資家も、不確実性に満ちた相場の世界で、
最適解など存在しないと承知の上で、
最善解を見つける努力を続けていきたいものだ。